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2015年12月28日

【手紙】厚生労働大臣向けの大麻取締法改正のお手紙だそうです。


いやいや。


なんだかもう、一行目から首を傾げてしまいます。しまいませんか?

テーマに関係の無いものがいきなり登場。大麻の話をしたいのに、タバコやアルコールを引き合いに出すのはどうかと思うのです。

きっとこの文章を書いた人は、近所のA君はもっとお小遣いをもらってる!というダダで、親御さんからの小遣い増額に成功したのでしょう。

全く関係無いですね。借り物競争に付き合わせないでください。

「大麻がタバコやアルコールより有害性が低い」というのは、
少人数の審査員の個々の主観(好み)で結果(芸術点)を裁いたり、
作者が芸術品としてこしらえたものに対して性的描写が過激であるとして非難することと、
なんら変わりの無いただの感想文、個人の感想、乱暴に言えば押し付けです。

この、発信者の押し付けを字面通りに捉えて自分の感想を述べる。議論をするならそもそもこのテーマの有用性を議論しなければならないところのはずですが流石、世界一テレビを鵜呑みにしやすい民族です。視野狭窄甚だしい。

数字で示せないものは客観的に評価することは絶対にできないのです。
表面上無理やり数値化したところで、数値化しきれていない部分が必ず争点になります。

たとえば、
電車で向かいに座っている2人の異性のうちどちらが素敵であるかを議論するようなものです。

たとえば、
味噌ラーメンと醤油ラーメンのどちらが体に良いかを議論するようなものです。

たとえば、
石の家と木の家のどちらが住み心地が良いかを議論するようなものです。

好みや価値観の問題だから、結論など出るわけが無い。

タバコを吸って具合が悪くなる者もいれば、
アルコールで元気がでる者もいるのです。
その逆もあるのです。

更にそれは、体調や気分によって入れ替わったりもします。

大麻の吸引によって同じ効果を体感する人もいるでしょうし、経口摂取によって逆の効果を体感する人もいるでしょう。いないと言えますか?

法律の内容は、それが適用される集団によって異なります。

法律の内容は、その文化やその土地の風土によっても違います。

ある国では違法なことが、他の国に行くと公然と行われていたりします。

具体例を挙げると、それはこういうわけで禁止(または励行)されてるわけで、ちゃんと理由があるんだ、などと反論されると面倒なので控えますが、理由の如何を問わず、事実なのです。


「常識」は人によってちがいます。

お風呂では頭から洗うのが常識の人もいれば、
体から洗うのが常識の家庭もあります。

それぞれ必ず理由がありますから、
どちらが正しいのかなんて決めることはできません。

ある程度以上の規模の集団になると、
集団を構成する人の中には、常識が異なる人どうしで構成されるのが当たり前になります。

だから、その集団の秩序を守るために個々の常識はさておき、法律を整備するのです。

個々の常識を押し通すよりも、お互いに部分的に妥協や我慢をすることで得られるメリットのほうが大きい。そんなポイントを抑えて法律を定めるのです。


風呂のように特別プライベートな空間のことならば、常識に任せて良いでしょう。

では自宅外でタバコを吸うことはどうでしょう。

野放しにしても良いですか?
実質、中途半端な法整備ばかりで野放し同然ですが。
社会問題になってから久しい喫煙、愛煙、嫌煙、禁煙、権利の問題。

昔は今よりもっと規制がなく、在来線の電車内でも喫煙は規制されていませんでしたし、来客に振る舞う嗜好品という位置付けでもありましたから、応接セットのテーブルにはタバコ立てが欠かせませんでした。

今どき電車内でタバコに火をつけようものなら、逮捕されても不思議ではありません。

ルールはこのように変わっていくものですが、それはその集団の中でより良い方法を選択するためです。

アメリカのどこぞの州が大麻を合法化したところで、それは遠く離れた日本には関係の無い話。いっそのこと、TPPに載せますか。


やれやれ、これを書いていたら長い通勤時間が終わりました。御精読感謝いたします。

posted by 山 at 23:27 | Comment(0) | 法律・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする