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2016年08月17日

【同情】張本氏はガッツポーズできなかった


相変わらずワタクシは呆れておりますよ。スポーツってのはそれ自体、選手本人、百歩譲って親戚縁者くらいまでしか関係ないんですよ。関係ないですよね。

五輪、選んで生まれたわけでもない母国の国籍なんかサクッと外して、他国民として出場するやつもいる。本人が考えて、本人が努力して、本人が一喜一憂する。そういうもんなんですよ、誰がなんと言おうと。

アイドルのCDをたくさん買って俺が育てた、とかとわけのわからんことを言う輩がいますが、スポーツ選手についてはよっぽど知名度が上がって、メディアへの露出度が上がりもしない限りは育てることもできない。多少なりとも知名度が上がらないと育てくれる客がつかないのはアイドルも大して変わりませんが。

なのにそんスポーツ選手の活躍に乗っかって、何にもしていない外野が勝手に感情移入して「便乗一喜一憂」する。まぁこういう他人のふんどしっていうか、コソ泥っていうか、ありがちな話ですよ、日本では。裏オッズがあるところでは賭博の対象だからそりゃ盛り上がりますが。

五輪も含めて、スポーツ選手が力や技を発揮する大会という場を設け、実力に応じて賞を授ける。当然原資が必要。

ところで、企業ってのは常に広報の場を探してる。どんなにいいモノやサービスを作っても、人々の目に止まらなければ売れない。優良な広告媒体にはお金を出したくて仕方がないのが企業。

五輪。スポンサーゼロでやれますかね。
いいえやれません。
スポンサーが付かなくてもスポーツ選手になればメシを食えますかね。
いいえ食えません。

えー?一応書いときます?
んじゃ、ざっくり。

@
企業が五輪にお金を出して広告を出させる。
企業がスポーツ選手にお金を出して広告塔にする。
→五輪開催側が潤う。
→スポーツ選手が儲かる

A
テレビの前の視聴者を含む観客が企業の広告を見せられる。
→広告の効果が大きくなる

B観客が商品を買う
→企業が儲かる
→商品がホントに良いモノだったら、客が喜ぶ。

さて、わかっててこのサイクルに飲まれる人、何も考えてない人、わかってて絶対に近寄らないワタクシのような人。いろんな人がいます。いいじゃないですかね。スポーツに対する接し方、個人の好きにしたら良いんですよ。選手自身が出場国を選べるのと同じように。

で、何だって?張本さんとやら。相手に失礼だからガッツポーズは肩の高さまでにしろ?まず何でガッツポーズが失礼なの?肩の高さだと何で失礼じゃないの?アゴじゃだめ?乳首の高さだとどう?

勝った喜びを全身で表現するのを見て観客は便乗一喜一憂するんですよ。だからスポンサーがカネを出すんですよ。別件で収入があって何とかメシは食えてる選手だって、勝ったら嬉しいんですよ。負けた選手にとっては、相手が喜びを全身で表現するのを見て、悔しがって次までまた頑張るんですよ。悔しさが次への栄養なんですよ。全身全霊をかけてアドレナリン出まくりで挑んだ選手が試合で買った直後、おふざけや相手を蔑むためにガッツポーズしてるんじゃないんですよ。やり切ったことと勝ったことと、いろんな背景から自然と体が動くのがガッツポーズなんですよ。だいたいね、五輪ってのは一応世界一位二位三位を決めて讃えるんですよ。世界三位とったやつに物申すって、あんたそんなに凄いのか?

張本さんよ、あんた、何かをホントに頑張って勝ったこと、無いだろ。他人の揚げ足ばっかりとってないで、どんなジャンルでもいいから死ぬまでに一度でいいから我を失うほどの喜びを味わったほうがいい。あんたのためだ。いぃもんだぜ?でなきゃ、生まれてきたことが無駄になっちまう。
posted by 山 at 20:32 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月25日

ゴルフは選手同士の競争ではない。

テレビで流れるあらゆるスポーツの大会は必ず、スポンサー企業の広報活動のために開催される。

それは構わないんだが、ゴルフっていう種目をスポーツと呼ぶのは大変な疑問がある。ただこれは、大会そのものを見ての感想ではなく、CMを見ての感想だから、愛ゴルフ家?にとやかく言うものでは無い。

このクラブは凄いんですよ、
良く飛ぶんですよ、
軽い力で打てるんですよ、
などのうたい文句がCMに並んでるんですが、それでいいの?新しい道具のおかげで成績が上がっても、それは選手の努力ではない。

個人が趣味でぶっ放すなら、より高機能なクラブを使えばいいのかもしれないが、大会として他の選手と競う時になんで道具がバラバラで良いのだろう。

良いクラブのメーカーがスポンサーについた選手が勝ちやすいという性質の種目なら、選手じゃなくて、メーカー間の戦いと言うことになる。

スポーツと呼ぶなら、CMが成立するほど多種多様な製品群を作り得る、広〜い規格ではなく、公平さを重視した、狭い規格を定めるべきだろう。

しかし、そうはならず、現状の有様が放置されているのは、そんなことをしたら、メーカーが儲からないからだ。

所詮、スポーツと呼ばれる世界中のあらゆる催しは単純に企業の手先として動くにすぎず、それで食べて行く、プロという職業が存在する以上、純粋に選手個人の技やチカラを比較することは出来ないわけだ。

オリンピックおめ。
posted by 山 at 18:00 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする